2017年09月04日

迎撃ミサイル画像

「砂漠の荒らし作戦」
この画像は1991年当時に第一次湾岸戦争の時にクエートに駐留していた合同軍の米兵リッチさんとアマ無線で繋がった時のお礼のカードです。何度か過去のブログ等で公開してました。イラクからのミサイルを迎撃ミサイルで撃ち落としたシーンです。





O氏の思い出画像をまた載せておきますね。

★姉弟           ★郷愁           ★庄内浜丘陵



  

2017年08月29日

23年前の雑誌を発見

23年前の雑誌が出てきた。実はこの雑誌よりスタジオジブリ鈴木プロデューサーから直接版権を頂いて作ったケームの記事を探していたのだが見つからない(笑)

この雑誌には別の自作ソフトの内容が載っていた。
あのころはDOS/vが主流でWindowsもDOS上で動作する重くて二重構造のOSだった。初期のWINDOWSに似せてマウスとビュジュアル的なものをPC98でもというコンセプトで作ったのがこの「ちびくろView」という自作ソフトであった。

今のPCと異なり、あの頃のPC98では12色表示しかできない、これを2画面高速スイッチング切り替えで残像を使って144色フルカラーに近い表示するという面白い画像表示が公開されていた。それに加えて、私のシャックには海外HF無線から電話、ローカルパケット無線とあらゆるシステムがリンクされて世界ともつながっている全世界型BBS(掲示板)を運営していた。

うちにアマ無線パケット通信でパソコンリンクされると介して海外無線を使って航行中の日本丸や他国のBBsに入ることもできた。
あの頃の転送速度は300bpsから1200bps 今は自宅wifiでも50Mbpsと余りの進歩に驚かされる。

各地の画像データを転送するに画像データを圧縮してアスキー文字化ファイルとして分割にて分けて送ったものだ。それを受信しツールを使って連結し解凍、元のデータに戻し、各地の風景画像を見るという,工程処理も含め楽しく至福の時でもあった。

データが抜けたり一部届かなかったりすると当然、ソフト上処理完結できないためデータは作れないし見れない。
ところが私のソフトはその途中工程のデータでも強制的に画像を再現し見えてしまうというあの頃にしては画期的なソフトだったと思う。(笑)

この記事は私が投稿したものでもなく編集社からあなたの記事を載せたいのですがという打診と私の許諾によって公開されたもので雑誌も勝手に送られてきたものです。(笑)

  

懐かしいうちの全世界型BBSシステムとアマ無線

  

2017年01月04日

懐かしいCPUシステム

この画像は、インターネットもまだ走りの頃のシステム、1980年代でしょうか。うちの片隅には凄いシステムが集約されておりました。
ソフトはDOSで稼働する、そしてうちの通信システムは電話モデム、無線モデム「1.2kBPS」を併せたものが主流でした。ソフトはもちろん自作、海外ネットともリンクしておりました。驚きなのは、現在のWIFIは50MBPS 光はギガ、どれだけの違いがあるかわかると思います。この低能力パワーで全国のユーザーに画像等から一般掲示板内容までを配信していた優れものでした。電波も私の資格でも1KWは出せましたからYBC放送局並みなのかな。

一番の売りは、電話でもアマチュア無線の電波でも、うちに繋がると外国まで一挙に飛リアルにリンクできる優れモノでした。懐かしいですね~。これが1980年代のシステムとは驚きです。今は、下段にも紹介してます投資システムでもそれなりの仕事はしてくれますね。

YTSの温海中継局にうちのクラブ(SDRNET、庄内デジタルリサーチネット)の中継器を置かせてもらって、外国向けのNODEもカバーしておりました。月山の山頂にも許可を頂き設置したものでしたが、電波で駆動しますから、回折の影響もあり、断念した経緯があります。昔のシステム特に自作に拘った私達が、そのまま今の時代に躍進していたら、凄いことになっていたのではないかと思います。ソフトバンクの孫社長も、日本にパソコンがない頃に、私が米国から輸入したパソコンを使ってやっていたころ、まだ、やっとアップルの輸入を始めたころで、コンピューター雑誌の著作を任されていた若い頃でしたからね。懐かしいかぎりです。趣味と野望の違いですね。(笑)




そうそう、私が米国から40年前に輸入したコモドール社のパソコンです。この頃は国内にはパソコンはありませんでした。能力の小さい体育館に入るやっと納まる大規模コンピューターはありました。この数年後にNEC、東芝、富士通から続々と出てきましたが、あの低所得の時代に30万近くしてましたかね、電卓で出来る仕事を何十万で販売されてましたね~。♪